触られるのは嫌?触られるのは嫌!
某駅前カラオケスナックに行った。保育園児を連れてのみに来ているご家族がいる。その子は天災にとてもなついている。ほとんど毎回相手している。
で、昨日はカウンター席からステージ前のボックス1番席まで、
としたら、1番席についているお店の子から
とやんわり言われたので保育園児を抱っこしながらカウンター席に戻った。
※
天災、なぜか50歳以上とか10歳以下とかの女性にモテる。なぜか、年頃の良い感じの女性は・・・。
このようなお店ではお酒を作ってくれる人はローテーションで席を移る。一番席に付く女の子がリカチャンに変わったらその隣に座っていたスケベオヤジが腰とかお尻とか触り始めた。
ここのお店は、素人の子がアルバイトでお酒を作ってくれるお店であり、お触りが出来るお店ではない。
で、天災、やんわりとそのスケベオヤジの行為の気をそらさせることを考え、
とつぶやいた。それを聞いた
マヤ嬢、
と質問、そこで
スケベオヤジの行為を説明すると、
マヤ嬢、3つの理由で反対してきた。
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一つは子供を出汁に使うな
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二つは私が触られるときには誰も止めない(から今回は止めなくて良いい?という論理?)
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リカチャンも大人・社会人なんだから、嫌だったら自分で断っているはず
という。どうやら
マヤ嬢、目先と個々の事例でしか判断できないようで、この考えのいくつかはとても
危険ということが理解できていないようだ。
で以下に解説。
子供をダシに使うのは不適当か?ならばストレートに言う?
イレギュラーな方法かもしれないけれど、変化球でやんわりと気をそらしたほうが気まずい思いをする人が出ないと考える。もちろん、子供を利用しないですむ方法でそのような結果になるならば、そのほうが良い。しかし、少なくとも天災、マヤ嬢いずれもそんな方法に辿りついけていない。人類史の歴史上の知恵ではベストじゃないかもしれないけれど、自分たちで出来うる限りのその場で考えた中ではベストな方法は?で対応するしかないんじゃない、と考える。マヤ嬢、反対はするけれど、代案の提示はしない。
仮に、ストレートに
なんて事言って、相手が素直に聞き入れない場合、
的な話にもなりかねない。この判定は避けたい。なぜならば、多分、この店のオーナーは十中八九、
を言う人であるが、人間、いつ何時、どんな状況に陥るか判らぬ。例えば
スケベオヤジが
だった場合、命にかかわるから、心の中では従業員に
かも知れないが、
スケベオヤジの魔手は止められぬ。相手がそんな怖い人ではなくても
経済的にお得意さんだった場合にも、同様かもしれない。
そして、お触りケース100回のうち一回だとしても
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酔っ払い相手に商売しているんだからさぁ、多少のことは我慢しないと・・・
的な言葉が出てきたら駄目だ。これが前例としてみんなの記憶に残る。経営者も人間、だから、経営者に判定させるような状況にしてはいけない。
このように書くと
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今回のスケベオヤジはやくざじゃないし、とか、
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経営者は「酔っ払い相手に商売しているんだからさぁ、多少のことは我慢しないと・・・」なんていう人じゃない
という人もいるだろう。このような目先の個々の事例にとらわれると大事を見失う。そのような場合になったときにまた対処を考えるなんてする?すべからく全てのケースでブレがなくみんなで対処できる方法を考えるべき。なぜならば、
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お店で触ってもいい子(触られてもいい子)・触ってはいけない子(触られてはいけない子)という区別は存在しないはず
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通勤電車では触ってもいい女性(触られても良い女性)・触ってはいけない女性(触られてはいけない女性)という区別は存在しないはず
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有色人種ということを理由に差別されてもいい人・いけない人という区別は存在しないはず
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アルバイト・パート・正規従業員という労働契約内容を理由に労基法違反の賃金の人と合法の賃金の人という区別は存在しないはず
だから。どんな場合でも・どんなときでも、このような区別・差別はあってはならない。そして、
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触られても良い人というのは存在しない。
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虐げられても良い人というのは存在しない。
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差別されても良い人というのは存在しない。
最初からあらゆることに対して可能な限り万能な方法で対処、が一番公平。それで対処できないときに例外を考える。最初からそれぞれのケースごとに対処を考案というのは、あの時は甲したのになんで今回乙なの?、という不公平が生じるよ。
突飛な方法のほうがどこにも遺恨を残さない解決が出来たかも知れぬ。
私が触られるときには誰も止めなかったから、今回も止めなくて良い?という論理は危険!
以前、マヤ嬢がそのような状況になったのは不幸なこと。しかし、自分がそのような経験をしたから、ほかの人たちもそのような不幸な経験を受忍すべき、って、この考えがまともじゃないことの説明が必要とは思わない。だから書かない。
公平に不幸な経験を持つ、ではなく、みなが不幸な経験をしないように、じゃないかねぇ。
(経済レベルや生活のレベル・成績などで)自分が上にいけないから周囲を自分と同じかもしくはそれ以下に引きおろすという考え方はNo Thank you!
大人・社会人なんだから、嫌だったら自分で断っているはず、がすべからく成立すれば、女性専用車両はない!
通勤電車で声を上げるのはとても勇気のいる行為。それが難しいというのも女性専用車両が出来た理由のひとつなんじゃないの?
このお店の経営者はまず
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酔っ払い相手に商売しているんだからさぁ、多少のことは我慢しないと・・・
とは言わないタイプだが、それでも危機的状況では・・、という話は既に書いた。このようなことは
という個々の状況で判定してはいけない。公平・法律的ということを考慮すると、どんな危機的状況で合ったとしても、ブレのない・すべからくみなにとって幸福で公平であらねばならない。ましてや、
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リカチャンも大人・社会人なんだから、嫌だったら自分で断っているはず
という本人任せでは、
と判断した場合に、救いがない。
アルバイトで働いていても、お金をいただいているという立場上、
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お客様の機嫌を損ねると経営者からしかられる、とか
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経営者が、こういうお店なんだからさぁ、多少のことは我慢しないと・・・、というかもしれない、とか
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せっかくの楽しい仲間とのお仕事失いたくない、など
さまざまなこと考えて、
と判断するかもしれない。このような弱い立場のものが我慢するというのは決して正しいことではないと考える。とても平等な立場での
大人の判断にはならない。これはハラスメントの一種なのだ。
ハラスメントの例
雇用者側が労働者に対して労働基準法違反の労働を命じたり、残業代などの賃金未払いをしたりしても、
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仕事失いたくなかった我慢してよ
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文句あるんだったらいつでもやめて良いよ、代わりはいくらでもいる
と言われて、その違法状態を受忍する。
派遣先の正規従業員が派遣社員に対して派遣法違反の労働を命じたりしても、派遣元・派遣先のどちらかもしくは双方が
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仕事失いたくなかった我慢してよ
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文句あるんだったらいつでもやめて良いよ、代わりはいくらでもいる
と言われて、その違法状態を受忍する。
肌の色の白い人達がが有色の人達に対して差別的発言をしても、
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仕事失いたくなかった我慢してよ
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文句あるんだったらいつでもやめて良いよ、代わりはいくらでもいる
と言われて、その人権侵害状態を受忍する。
移民の人達に対してその受入国側の人が
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仕事失いたくなかった我慢してよ
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文句あるんだったらいつでもやめて良いよ、代わりはいくらでもいる
と言ってさまざまな差別する。
多民族国家で大多数を占める民族の人が少数民族に対して
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仕事失いたくなかった我慢してよ
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文句あるんだったらいつでもやめて良いよ、代わりはいくらでもいる
と言ってさまざまな差別する。
複数の宗教が存在する国家で国民の大多数が信じる宗教の信者が少人数の宗教信者に対して
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仕事失いたくなかった我慢してよ
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文句あるんだったらいつでもやめて良いよ、代わりはいくらでもいる
と言ってさまざまな差別する。
ね、論理構造が同一でしょ。マヤ嬢が
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私は差別主義者ではない!
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今回のスケベオヤジの行為についてだけ
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リカチャンも大人・社会人なんだから、嫌だったら自分で断っているはず
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経営者は「酔っ払い相手に商売しているんだからさぁ、多少のことは我慢しないと・・・」なんていう人じゃない
と主張するかもしれない。そして、
天災がさまざまな差別にまで言及することを
と思うかもしれない。しかし、差別とはそのような何気ない、実は自分でも差別とは気が付かない程度のとこからはじまる。目先の論理だけだと目の前にいる人には親切でもそのお隣の人に対してとても人権侵害している可能性がある、ということ。
一部の特権階級の人達がそうであるように、
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まさか、自分の言動が差別に当たるとは考えてもないような
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当然のごとく自分にはそうする権利があるとでも考えているような
無意識な差別がたち悪い。
また、ほとんどの人にもなんだが、
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まさか、自分の言動が差別に当たるとは考えてもないような
意識していない差別のほうがたち悪い。
で、ほとんどの人は、自分の言動がある人達には心無い言葉となっていることを指摘されると、パニックになり、それが差別であることをなかなか認められない。そりゃ、思っても見なかったことだからね。でも、
ではなく、
ことを意識して話さないとね。
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同じ地域で生活しているとか、
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同じような学歴であるとか、
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生活レベルが似ているとか、
だと、その中では発覚しないことでも、
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他地域で生活している人たちとか、
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異なる学歴の人たちとか、
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生活レベルが異なる人達とか、
だと、何気ない言葉が心に突き刺さることがある。それを、
で済まさずに、
という事を念頭に置いて言葉を発するほうが良いんじゃない?
紙に書いた言葉は消しゴムで消せる
でも口から出た言葉は消しようがない
当たり前だけれど、意図して差別するような行為はとっても意地悪なことなので論外。
ある組織の実質的リーダに
と伝えたら本人は、そうとは認めなかった。もう随分時間がたったのに、未だに同様な言動をしているという。となると、「無意識から」から「意図して」に移行したということ。
スケベオヤジの行為を見過ごす理由があるか?
ということでマヤ嬢があげた反対理由の
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子供を出汁に使うな
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私が触られるときには誰も止めない(から今回は止めなくて良いい?という論理?)
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リカチャンも大人・社会人なんだから、嫌だったら自分で断っているはず
三つとも、
スケベオヤジの行為を放置できる理由にならないと思う。
※ 当人にお任せ、というのは放置だよね。
マヤ嬢には、
バッカじゃないの!?
と言われたが、
スケベオヤジの行為を放置できるほど自分はバカじゃないと思っている。
※ 論理的に読解できない人のために書くけれど、
スケベオヤジの行為を放置できる人はバカだと思う、という意で書いた。
石神井 駅前 ミュージックパブ カラオケ カルチェ
初出日 07 Dec 2007
最終更新日 09 Dec 2007