バルカン人が論理的とは思いません。特にカークの時代は。論理と感情が相反するもの・対立するものと考えていましたから。バルカン人は、ただ感情を抑えて理性的に行動しようとしているだけです。TNG・DS9・VGR・ENTと作品が作られて、まぁ、いわゆる論理的になってきてますが。感情の存在を認め、感情のみにとらわれないように論理的に判断・行動する、そのために瞑想する、のです。
で、世間には時々
「理工系の人は考え方がデジタルで、Yes or Noのどちらかしかない。文系の人はアナログで1と0の間が無限に考えられる。」
なんていう方がいらっしゃいます。そうですかねぇ?、エンジニアなんか0と1の間を数多く細分化して考えられる程、できる奴なんですがねぇ。ACLのフィルタリングルールなんて基本に対しての例外規定を並べたもんですね。「
通すか通さないか」という単純なものではなく、基本の上に「この場合は通すか通さないか」があり、さらに「しかし以下に当てはまる場合は通さない」が出てきて、さらに「しかし例外として次に当てはまる場合は・・・・・・」になるのですから。理詰めに弱く理屈を理解しないで単純化しないと行動できない人にはとても出来ないことですね。
例えば
「次にこうしたらいいの?それともああしたらいいの?」
という質問に対して、
「こうなのか、またはああなのかの二者択一ではありません。ザッと考えても1024通りは思いつきますから。その内よく起こりそうなのが・・・・・・。」
と理詰めで考える。考えることが面倒で、二手先を考えることを放棄したり人任せにするのが質問者。
目先の
どちらかではなく、何手も先の何通りのことを考えているから
0から100までのうちで・・・の表現の方がより近いと思います。で、
「理工系の人は考え方がデジタルで、Yes or Noのどちらかしかない。文系の人はアナログで1と0の間が考えられる。」
と言っている人に中に
0から100のことを
1から99を考慮しないで
0か100かのどちらかで考えているかたがいませんか?
例えば、
「エンジニアを名乗っている方が全員論理的であるとは言えません。」
という文を読んで、
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「エンジニアにも論理的な人と非論理的な人がいるんだ。」
という介釈と、
と解釈するのでは、どちらが正確に理解しているでしょう? 当然、前者ですね。「エンジニアを名乗っている方
は全員論理的であるとは言えません。」と書いてあれば、「エンジニアは全員、非論理的な人なんだ。」という介釈でいいでしょう。(ここら辺は
論理的思考というよりも
文章読解力の範囲かな?)
※ この例文は本当だ。エンジニアやテクニカルなトレーナーを名乗っている方々の中に、小手先の器用さ・記憶力で仕事をしている人は存在する。経験上、迷惑をかけてくる人が多い。356通り考えずに2通りだけ用意して「どっちなの?」とくる。
正しい知識を基に直感の裏づけができているかを考えてみましょう。なぜならば、その行動や判断を説明できない・しない、という理屈抜きで非合理的なことが嫌いだから。
どの分野でもベテランになると、直感レベルで論理的判断・行動が出来ます。後から理由をつけても矛盾がない。論理的に未熟でも、判断・行動は間違っていない、なんてこともあるでしょう。そころが、論理的に未熟だと権力者や論理的に誤りである論をいっているのに自分よりは論理的な者の論に対抗できません。直感レベルでは変だ!・おかしい、納得できないぞ!となるのですが、対抗できません。子供と大人の関係なんて時に多いですね。
論理的思考が出来ると感情が受け付けられないということが起こらない。
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「理屈では判っているんだけどね、感情が納得しないのよ」ということがない。
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議論をしていても「自分が誤りである。」事が判ると、それを素直に受け入れられる、
と思います。(思うだけでなく体験上そのように感じます。)
ストレスが溜まるような納得できないということは、
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相手が論理的に誤った事を押し付けてきた、確かに不公平・不合理である場合と
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知識がなかったり、物事を論理的に考えられなかったりして、不公平・不合理感を感じている場合
もあるでしょう。
さて、ここで
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私が非論理的で無理な不公平・不合理感を感じている場合と
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無理が通れば道理引っ込む的な論理的に誤った事を相手が押し付けてきた確かに不公平・不合理である場合と
どうしたら区別がつくのでしょう。すぐに考え付くのが、正しい知識を吸収することと論理的思考を身につけることでしょう。議論になる時って片方の知識が間違っていることを気付いていないことってありますね。
ずるい人は、
「あなたが非論理的だから受け入れにストレスを感じているのだ。非論理的だからストレスを感じるのだ。」
なんて言うかもしれません。これに対抗するには、正しい知識を吸収することと論理的思考を身につけることでしょう。
無理が通れば道理引っ込む的な、無理を請負うことが続くと性格が歪みますね。無知の犠牲者です。マイナス・負・ネガティブな力は強大で伝染しやすい。(StarWarsでも暗黒の力は強いですね。)子供は素直で正しい論理回路を持っていて、大人と比べて知識の無さと論理性がただ未熟なだけで大人の権力に対抗できないだけかもしれない。こうなると理屈(論理)を考えることをしなくなり、世間は道理が通じないという負の考えを持って大人になってしまうかもしれない。大人から子供へという負の連鎖は簡単には断ち切れないかもしれない。
長寿と繁栄を!